地域主導のまちづくり
温泉街を取り巻く環境は、さまざまな要因で変化する。景気低迷、物価高騰、自然災害、感染症の流行、少子化といった外部要因から、担い手不足や施設の老朽化などの内部要因まで。温泉地として全国区の知名度を持つ道後温泉であっても、それは例外ではない。実際、2020年からのコロナ禍では宿泊者数が半減する危機的状況を迎えた。
そのような課題を解決しより強く魅力的な地域へと成長していくための街づくりをリードしているのが、「道後温泉誇れるまちづくり推進協議会」。道後地区の旅館・ホテルや商店街、地元住民、松山市内の企業・大学などで構成する、1992年に設立された組織だ。
「推進協議会の立ち上げは、地域の課題は自分たちで解決していこう、自分たちで街を良くしていこうという思いによるものでした。直接的には、バブル崩壊後の地域低迷の兆しに対処するというのがきっかけですが、当時から強く意識していたのは、道後温泉に特有の課題である『道後温泉本館への過度の依存』です。これを解決するには、自分たちで考え行動するしかない。そしてそれができなければ、道後温泉は過去の資産を消費していくだけの観光地になってしまうという危機感がありました。今の時代はそれでいいかもしれません。けれど、次の世代につなげていこうと考えた時には、避けて通れない課題でした」
道後温泉誇れるまちづくり推進協議会の会長で、自身も道後温泉で複数の旅館・ホテルを経営する宮﨑光彦氏は、立ち上げ当時を振り返りそう語る。
明治27年当時、老朽化していた温泉施設の改築にあたり、当時の町長である伊佐庭如矢氏が「100年後までも他所が真似できないものを作ってこそ、初めて物をいう」と主張して、現在の三層楼に姿を変えた。重厚感のある佇まいが特徴的な木造3階建てで、2種の浴室と4種の休憩室を備えている。伊佐庭氏の慧眼のとおり、道後温泉のシンボルとして長く興隆を支え、1994年には公衆浴場として初めて国の重要文化財に登録された。
歴史的にも建築物としても貴重な道後温泉本館、そして温泉そのものに依存しすぎないことで、持続可能な温泉地を目指す。この、一見、矛盾するようにも見える方針を明確に打ち出したのが、2024年に発表された「道後温泉2050ビジョン」だ。

道後温泉誇れるまちづくり推進協議会
会長
宮﨑 光彦氏

「道後温泉2050ビジョン」
「道後温泉2050ビジョン」は、道後温泉本館保存修理工事が完了し、いわゆるアフターコロナに入る際に示された、次の一手だ。これから一層加速する社会経済環境や技術基盤の変化の中で、30年後の道後温泉のあるべき姿・なりたい姿について調査・検討・討議し、今後の変化を牽引する具体的指針としてまとめたもので、その中で改めて掲げられたのが「温泉だけに依存することなく持続可能な温泉地」と、国内外の来訪者に多様なあり方で滞在を満喫してもらうための「デジタル温泉都市」というビジョンだった。
このビジョンの背景にある課題の一つが、近年の日本経済で欠かせない項目となっているインバウンド対策だ。宮﨑氏は、ビジョンとインバウンドの関係を次のように説明してくれた。
「道後温泉は他の観光地と比べてもインバウンド比率が低い。現在は13%ほどですが、コロナ禍前は4%でした。ですが、日本の人口が減少していくことを踏まえると、インバウンド対策は必須です。私たちはビジョンの中で、2050年までにインバウンド比率を50%まで上げるという目標を掲げました。では、そのような状況を実現できる街とはどのようなものなのか。そう考えて出てきたのが『温泉に入らなくても持続可能な温泉地』であり、『デジタル温泉都市』です。温泉はもちろん重要な資源であり、それはこれからも変わりません。ただ、それだけではない街づくりが今は必要ということです。温泉がなくても魅力的な街をつくったうえで温泉を活かしていければ、ものすごく強力な魅力を備えた街になるはずですから」


歴史文化をキーワードに、見どころを発掘
「道後温泉2050ビジョン」では、街づくりのテーマとして、温泉、歴史文化、アート・工芸、ウェルネス、自然・環境共生、デジタル化・DXの6つを挙げている。
この中ですでに成果を上げつつあるのが、歴史文化とアート・工芸だ。
「道後温泉はこれまで、古代から続く長い歴史を持ちながらそれをうまく表現できていませんでした。『玉の石』※1と寺と神社※2があるくらいで、『日本最古の温泉地』であることは表現できていなかった。これは、とてももったいないことです。日本史に初めて温泉という言葉が出てきたのは法隆寺の747年の財産目録で、そこに『伊豫國温泉郡(ゆのこおり)』と書かれた道後です。それまでは、「湯泉」や「温湯」で表し、「ゆ」と読ませていたのです。それらを一つひとつ物語化していこうという発想からつくられたのが、聖徳太子・斉明天皇ゆかりの飛鳥時代をテーマにした第3の外湯『飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)』でした」と、宮﨑氏。
「飛鳥乃湯泉」は、明治時代に建てられた「道後温泉本館」、昭和28年の第8回国体開催時に建設された「椿の湯」に続く第3の外湯として、2017年に開設された。飛鳥時代の建築様式を取り入れた湯屋で、皇室専用浴室を再現した特別浴室では昔の浴衣「湯帳(ゆちょう)」を着ての入浴体験もできる。湯帳は日本古来の文化に触れるものであると同時に、裸になることに抵抗を持つ外国人客にも利用してもらえると期待されている。
「道後温泉には、ほかにもまだあまり知られていない見どころがあります。それらを発掘し、回遊ルートとして示していこうというのが、ビジョンにおいて具体的施策の一つに挙げた「道後温泉歴史文化コリドール(回廊)」です。既に『開運めぐり』や『道後村めぐり』『刻めぐり』といった企画を行っており、好評を博してきたのですが、めぐる範囲が広すぎるなどの課題もあり、改めてルートを整備しながら形にしていく構想を持っています。そこでキーワードになるのは、やはり歴史文化。たくさんの見どころを発掘するためには、まず私たち道後の人間がもっと歴史文化を知らなければと考え、今、道後温泉旅館協同組合が主体となり歴史勉強会を進めています」
※1 玉の石は、道後温泉本館の北側に奉られている石で、伊予国風土記逸文に登場する。重病にかかった少彦名命を大国主命が掌にのせて道後温泉の湯であたためたところ、たちまち元気になり、石の上で踊ったと記されており、その石が「玉の石」と呼ばれた。
※2 道後温泉には伊佐爾波神社、湯神社、圓満寺、宝厳寺など複数の寺社仏閣がある。


アートの力で幅広い層を呼び込む
宮﨑氏がコリドールのキーワードとして挙げた歴史文化と並び、もう一つの柱となるのがアート・工芸だ。
道後温泉では、2014年に開催した「道後オンセナート2014」以降、さまざまなアート事業に取り組んできた。道後温泉本館の改装工事中には手塚治虫の「火の鳥」とコラボレーションした「道後REBORNプロジェクト」を行い、オリジナルアニメやプロジェクションマッピングなどを実施。工事中の道後温泉本館を覆うシートに火の鳥を描き、それをよく鑑賞できるよう道後温泉本館と道後温泉街を一望できる冠山に、無料の足湯「道後温泉 空の散歩道」を設置した。現在も2025年10月から2027年2月までは、「蜷川実花 with EiM × 道後温泉 DOGO ART」が開催中だ。
アートとのコラボレーションの効果は着実にあらわれていると教えてくれたのは、「空の散歩道」のすぐ隣にある松山市道後温泉事務所の楠元圭氏だ。
「アート事業を行ったことで、若年の客層を呼び込むことができたんです。旅館や商店街の方々に聞いたところ、アート事業を始めて以降、明らかにお客様の数が増えたと。ちょうど旅行形態の変化が起きている時期に開催できたのも良かったのでしょう。一昔前は団体旅行が一般的でしたが、近年は個人旅行が主流です。個人旅行をする若いお客様は、アートを目的に道後温泉まで足を運んでくれる。商店街もこの変化をしっかり把握していて、例えば食べ歩きができる食品を販売する店舗が増えたのは、変化へ対応した例の一つと言えるでしょう」
歴史文化やアートを楽しめる地域へと進化することで、道後温泉が抱える課題の一つの解決につながるという期待もある。それが、「周遊性・滞在性」の向上だ。
「道後地区は良くも悪くもコンパクトにまとまっていて、急げば半日で見どころを回れてしまいますが、活性化のためには宿泊してもっと長くお楽しみいただきたいんです。そのためには、新しい観光スポットやコンテンツをつくることも必要です。推進協議会をはじめ、地域の方々がまちづくりのアイデアを出してくれるので、行政としてもそれを実現するために尽力していきますし、行政と地域が連携してまちづくりをしていく土壌があるのが、道後の強みだと思います」と楠元氏。
コンパクトな地域で古くから栄えた観光地であっても、すべての場所を観光客が訪れるわけではない。中にはさまざまな事情から開発が遅れた場所もある。その一つ「上人坂」の開発に、楠元氏は期待していると言う。
「昭和初期までは松ヶ枝(まつがえ)町(ちょう)という町名で、色街として栄えた場所でした。昭和40年代から徐々に衰退しはじめ、現在に至っています。ただ、坂とは言え道後温泉本館から徒歩で5分も歩かない場所に位置しているので、特別ロケーションが悪いわけではありません。実際、2019年~2024年に行われた道後温泉本館保存修理工事の期間中の影響緩和策として策定された『道後温泉活性化計画』の整備エリアにも指定されていましたが、思うように開発が進まなかったのが現状です。
しかしながら、近年では、おしゃれな隠れ家的レストランやカフェなどの出店が見受けられ、特にマリメッコ社のテキスタイルデザイナーだった石本藤雄氏のショップ兼ギャラリー『Mustakivi gallery&』は、アート好きに人気を博しています。このように少しずつ民間資本も入ってくるようになり、歴史文化とアート・工芸の両方を楽しめる場所になりつつあります。こういった状況を受け、上人坂周辺でも『もっと坂を盛り上げていこう』という機運が高まってきており、地元団体によるまちおこしのような動きが活発化してきています。このエリアをうまく盛り上げることができれば、さらに道後地区全体の周遊性・滞在性が高められるはずです」

松山市 産業経済部 道後温泉事務所
副主幹
楠元 圭氏



DXと街づくり
周遊性・滞在性のほかに、道後温泉の今後の課題として楠元氏が挙げたのが、DXだ。
「インバウンド比率50%を達成するにあたっても欠かせないので、私たちもDX人材の育成などを進めています」と、楠元氏は言う。
DXは「道後温泉2050ビジョン」が目指す「デジタル温泉都市」構想にも関わってくる。デジタル決済の普及やデジタルマップや案内の整備、Wi-Fi環境の整備といったインフラ面から、仮想現実(VR)を用いたバーチャルツアーの提供やSNSの活用、さらにはホテル・旅館の予約システムの統合など、施策は多岐にわたる。
宮﨑氏は「DXのためのデジタルデータは、実は既にたくさんあるんです。それをどう活かしていくか、活用方法を考えるのがこれからの段階だと考えています」と語る。
その活用方法の一つが、現在、道後地域のホテルや旅館が進めているDMP(デジタル・マネジメント・プラットフォーム)だ。高付加価値化工事など中長期の休業が必要な場合に、複数のホテル・旅館で休業期間が重なってしまうと道後温泉宿泊客室の供給不足につながる恐れがある。そういった事態を防ぐため、各施設の予約システムをつないで過去のデータは勿論、半年先・1年先の将来の予約データを共有する。もちろん個々の旅館の名前はわからないようにした上でだが、それでも来客が多い時期・少ない時期といった全体的な傾向を把握することはできる。その情報をもとに、「この期間の予約が少ないからキャンペーンを打とう」「この時期に休業する施設があるから、他の施設は時期をずらそう」といった対策をとるのだ。
旅行者の利便性や周遊性の向上にとどまらず、観光産業としての生産性向上や観光地経営の高度化などを進めることで、最終的に観光産業の業務プロセス改善、旅行者の体験価値の向上につなげていくのが「道後温泉2050ビジョン」のDXであり、「デジタル温泉都市」へと発展するための第一歩となる。


30年後、100年後を見据えた施策が、次の千年へつなぐ
宮﨑氏は、道後温泉は「再生の湯」であり、同時に「改革の湯」でもあると言う。
「古くは聖徳太子が道後の湯に浸かって『十七条の憲法』と『冠位十二階』を考えた。これが政治改革。そして鎌倉時代には道後で生まれた一遍上人が、仏教を庶民のものにした。これが宗教改革。そして3つ目の文学の改革は夏目漱石や正岡子規によるものです。少しこじつけかもしれませんが、そうやって改革の節目に道後温泉は関わってきました。そこから、温泉というものがどうやって地域の歴史文化に根付き、発展してきたのかを紐解き、目に見えるわかりやすい形で示すことができれば、日本や海外の方々にも響く体験価値につなげることができます。世界に開かれた、日本の温泉文化を体現する街でありたいものです」
道後温泉の伝統は、温泉や歴史といった既存の資産の消費ではなく、新しいものを求め挑戦していく革新の積み重ねだ。
伊佐庭如矢氏が百年先まで残そうと挑んだ道後温泉本館は、2014年に改築120年の「大還暦」を迎えた。目の前の今だけでなく、数十年・数百年先の未来を見据えて施策を打ち取り組むことこそが、道後温泉の伝統だと言える。
30年先を目標につくられた「道後温泉2050ビジョン」もまた、さらにその先、百年後、数百年後にまで影響する革新の種火となる可能性は十分にある。その革新は、もしかしたら千年後にまでつながる新たな物語の始まりでもあるのかもしれない。















