「持続性」とは、時間の経過を受け入れること
60年の活動を振り返る展覧会だったけれど、作品と作品、プロジェクトをつなぐ行間にまで、「現在」につながっている時間の手触りが感じられる。日比野氏のアートとサステナビリティについて考えるとき、「時間の経過」は重要なキーワードかもしれない。日比野氏の言葉は、いつものように明快だった。
「ものは必ず朽ちていく。つくり終わったら安定して何も朽ちない、変わらないということはない。それをゼロに戻してまたつくり始め、輪廻・回転していく。そういう時間の経過を受け入れるのが『持続性』であり、確かに、自分の作風とつながる部分があるかもしれない。ただ、昔は『持続性』という言葉などなくて、『モノ』でいえば悪気もなく使い捨てだった。2000年あたりから、環境問題や捕鯨の問題でクローズアップされた動物愛護の課題などがニュースとして提示されたときに、リサイクルなど具体的な取り組みを含めて、持続性に配慮しなければという意識に変わっていった。自分もそうだけれども、環境や社会の課題と文化活動は関係ないとして、かなり距離があったのは事実かもしれない」
時間の経過を受け入れるのが持続性だとすると、日比野氏のアートワークは、何を基点として、どこから始まったのだろうか。
「作品に段ボールを使用したのは、段ボールが経過する時間が生み出す魅力を教えてくれたから。真白の紙は、色の表現適性が良くて保存にも強い。段ボールは、発色も悪い上に保存もきかない。でも、段ボールは段ボールに再生しているという時点で、時間を超越しているので、時間の経過に反応しないという側面があり、そこに魅力がある。時間に反応しないという点で、アンチエイジングな素材ともいえる。本質的に人間はアンチエイジングを求めるし、老いたくない、古びたくない。でもそれは無理だから時間に反応するということを受け入れようとする。それが『持続性』だと思う」
日比野氏は「老いない、色褪せないという美しさ」への美意識に対して、老いるからこそ感じる「もののあはれ」「わびさび」を東洋の美意識として位置づけた。それぞれの『持続性』を捉えながら、段ボールという素材が時間の経過を受け入れることで生まれる魅力を最初から感じていたのかもしれない。

種を蒔く、花が咲く、また種を蒔く。植物のルーティンが教えてくれた事実
2000年代以降の日比野氏は地域コミュニティとの共創や、環境問題の啓発などサステナビリティとの親和性がより高まっていったように見える。
「コラボレーションや地域性と自分らしさをテーマにしたとき、それまで発表の場としていたギャラリーや美術館、スタジオなどものをつくる場で制作していたのでは可能性が広がらない。
だから、地域の中で制作して、地域の人たちに発信していく、場の力をテーマとして表現していきたいということで、『明後日新聞』を2003年から始めたら、いろいろなことが見えてきた。大切なことは、地域の人たちの暮らしが教えてくれた」
明後日新聞プロジェクトは、日本有数の豪雪地帯、新潟県松代町莇平(あざみひら)で開催された「大地の芸術祭 越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレ2003」において、廃校を舞台に約20戸の集落の住民たちと朝顔を育てたことから始まった。その活動はトリエンナーレの枠をはるかに超え、住民たちとの継続的な交流によって20年以上続いていくことになる。
「明後日新聞が続いているのは、朝顔のプロジェクトがあるから。今は、新聞は時々しか出さないけれど、朝顔は春になったら種を蒔き、花が咲き、また種ができる。種ができるから、また来年蒔く。自然の摂理に沿って回っている。コロナ禍でもお休みではなく、種を蒔く。コロナ禍とは関係がなく、朝顔が伸びるから。植物のルーティンに、人間が合わせているから継続できている。
人間の都合なら『今年はメンバーが集まらないからやめよう』とか『六月は無理だから、秋にしよう』とか人間の事情に左右される。朝顔にとってはそういうわけにはいかない。秋に種を蒔いても仕方ない。植物のルーティン、イコール、太陽と季節のルールに合わせているので、継続できている」
植物のルーティン。輪廻・回転していくというものの話とつながっている。
そして、年表の最後に気になる言葉があった。「文化的処方」。それは、アートが持っているライフラインとしての役割を果たすための日比野氏の終わらない挑戦だった。

ライフラインとしてのアートの役割
「『文化的処方』というのは、アートの持つポテンシャルと役割を認識し、政治や文化・芸術を経済や医療、福祉のベースとして位置づけていくための取り組み。
例えば、政治や行政が、経済を立て直すとか、高齢化社会にどう立ち向かうとか、健康や福祉をどうするのかというときに、文化が出てこない。本当は全部つながっている。自分は福祉も健康も文化とつながるし、経済も文化とつながるという経験を実際にしてきているので、それを発信していきたい。
文化に投資することが健康につながる、福祉につながる、経済発展にもつながることを発信していくことが、大学の学長や美術館館長などの立場も含めて自分がやらなければならないことだと思う。
そのためには、現実的に予算を取らなければならない。そのためには、評価と結果が必要になる。例えば美術館の評価。西洋美術館でモネ展が70万人動員すればそれは定量的な評価になる。一方で5,000人しか入らなかったけど、良い展覧会だという評価がある。
難しいのは定性評価をどうやって共有し、そこに投資してもらえるようにするか。それができてはじめて文化がビジネスになる。お腹が減ったらご飯を食べて元気になる、気が滅入ったときに好きな音楽を聴くと元気になる。一人ぼっちのときに映画を観ると勇気づけられる。これらは想像できるし、文化そのもののチカラであり、ウェルビーイング。
もう一つ重要なのが、ライフラインといえる側面。
例えば震災の後、ガス・水道・電気が止まる。復旧のためのスタッフが入る。瓦礫の中に自衛隊が入ってくれる。命を救うために懸命に取り組んでくれる。重要な責務を果たしてくれている。
でも、文化にも果たせる役割がある。避難所や仮設住宅で住み慣れたコミュニティにも行けず、孤独に耐えられず、心を損なう人がいる。ガス・水道・電気があっても、食事が提供されていても、失われてしまう命もある。そのときに、コミュニティや文化、そこで交換される価値は、息を吸うのと同じくらいに必要なことで、ライフラインとしてのアートは、絶対にある。
極論をいえば、戦争も経済や社会の成長がぶつかりあって起き続けているし、現状ではなくなることはない。そもそも文化というのは違いがあるから生まれてくる。互いの違いを受け入れ合える文化がなければ、戦争は永遠に起こり続ける。戦争をなくすためには、文化・芸術っていうのが必要になってくる。だからこそ、文化が、もっと経済・医療・福祉などと同等に、というよりすべてのベースになっているということを伝えていくのが、本当のミッションなのかもしれない」
アートや文化が役割を果たすための現実的な処方から、ライフラインとしてのアートが果たす大きな役割まで。この展覧会は60年にわたるあまりにも多様な活動を多角的な視点で振り返りながら、社会のベースとして文化・芸術が果たす役割の大きさを垣間見ることができる貴重な体験だった。

「ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」
繰り出した先には終わらない航海が続いている。それこそがヒビノスペシャル。これまでも、これからも、日比野克彦氏がいる限り、アートの可能性は広がり続ける。
日比野 克彦
1958年岐阜市生まれ。1984年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程デザイン専攻修了。大学院在学中にダンボールを素材に制作した作品で注目を集め、1982年日本グラフィック展大賞受賞。国内外で多数の展覧会に出品するほか、舞台美術や芸術祭のプロデュースなど多岐にわたる分野で活動。近年は地域の参加者と地域の特性や関係性、人びとの個性を活かしたアートプロジェクトを数多く行う。現在、東京藝術大学長、岐阜県美術館館長、熊本市現代美術館館長、日本サッカー協会参与。






